五十嵐耕平(映画監督)
リテイクするごとにだんだんと画面が暗くなる。思わず撮影現場を想像して、「あぁ日が暮れていく…」と胸の内で呟いた。それがこんなに美しいことだったとは。映画内だろうが外だろうが、ただカメラの前にあった現実の、たった一度だけ記録された彼/彼女たちの表情、声、アクション。それはいつまでもスクリーンにある。
たらちねジョン(漫画家)
あの時、あの瞬間、あの一言が…。時間が巻き戻せたらどんな素晴らしい今に繋がっていくだろう。誰にも流れていた穏やかで、残酷で、取り返せないあの時間を追体験できる、そんな映画でした。
石井裕也(映画監督)
全部面白かった。画面に入り込んでくる一般の通行人さえ映画の躍動になっている。俳優もみんな楽しそう。自主映画の教科書のような作品。
杉田協士(映画監督)
どれだけ心が響き合っても、だからこそ、視線が交わり合うことはない。だからこそ、こうして映画が生まれる。『Retake リテイク』が生まれる。
安藤絋平(早稲田大学名誉教授)
手探りで初めて撮る映画、それはまるで人生そのものなんでしょうね。
それこそが、『時間が流れない世界を目指す旅』なんでしょうね。
何度も失敗して、リテイクして、投げだしそうになって、それでも何とか素晴らしいエンディングを見出そうともがいて、結局、たどり着けないものがラストシーン⋯人生⋯。
寺山修司は「君は、ラストシーンを観たか?」と問います。
結局、僕たちは人生において、思い描くラストシーンを観ることは出来ないのでしょうか⋯。
この映画に出てくる彼らは、何度でもリテイクが出来ます。若さにはその権利があります。現実にも、イメージの中でも⋯。ところで彼らはどんなラストシーンを観たのでしょうか?
寺山修司は問います。「君は、ラストシーンを観たのか?」と⋯。
とても爽やかで素敵な青春映画でした。
早川千絵(映画監督)
テイクを重ねるということは、同じ時間を繰り返す試みなのだと気づく。 考えてみれば、なんとも奇妙な行為だ。そのなんともおかしな映画作りをモチーフに、この映画は驚くべきやり方で教えてくれる。 時間は止まらないからこそ美しいのだと。
諏訪敦彦(映画監督)
映画を作るとは、それぞれのやり方で自分の人生を救うということである、と言ったのは確かゴダールである。でも、どうやって? ドキュメンタリー映画の欺瞞には耐えられず、しかし単にフィクション映画を作るだけでは何か大切なものを取り逃してしまうというジレンマに引き裂かれながら、中野くんは反復=リテイクを生きるという第三の道を作り出した。自らを救う術を見出したのだ。変化する陽射しと共に何度も繰り返される演技のどれもが、かけがえのない「なんか幸せな」一度限りの瞬間であることが力強く肯定される。私はその覚悟に感動する。ブラボー!
相田冬二(Bleu et Rose/映画批評家)
部屋のなかではあんなに響きわたっていたシャッター音が、カメラを海に向けた途端、潮騒の前で黙りこむ。冒頭の光景を目の当たりにしたわたしたちは、もう体内の波がうねっている。
これは撮影論であり、観客論であり、映画論であり、劇場論であり、広義の体験論である。そして、作品をほんとうに創っているのは誰かという問いである。
シャッター音とは何か。潮騒とは何か。あなたの答えを、映画『Retake リテイク』は湖面の静けさと共にじっと待っている。
新谷和輝(ラテンアメリカ映画研究者)
「リテイク=撮り直し」とは、思い通りにいかない出来事をなかったことにする操作なのか、それともあらゆる状況を引き受けながら前向きに進む行為なのか。自主的な映画作りにつきまとうプリミティブな痛ましさとともに世界は切断され、そのとき映画装置に託されてきた厄介で切実な願いが垣間見える。ゾクっとするこの裂け目をどのように渡ればいいのか、そこから生まれる不確かな現実をどのように選び、つなげればいいのか。登場人物たちだけでなく私たち観客も試されている。
今関あきよし(映画監督)
あゝ、元気出た! 全部ダメで、全部サイコーにいい!
映画では普通ノイズとされる、海の音、川の音、蝉の声、風の音、電車の音、蛍光灯ノイズ、エアコンノイズ…心地良い
時の流れは音の流れ 映画は時間、時間は映画
昔「KISS」という高校生の映画作りの物語を紡いだことがある
漫画化はされたけど、いつか映画化もしてみたいと思っていた
リリシズムに溢れる
遊『あのさ、話あるっていったじゃん』 景『あ、はい』
映画観てるのか、風に乗って彼らの近くに浮遊して、映画作りを覗いてみている感じ
いいように使われる景が愛おしい。遊役の服の変化が、いい
演者でなく、血の通った人間がそこに感じた
陽が落ちると共に景の声のトーンが徐々に低くなっていく、切なさ からの、次へ進む
日暮れ・・・みんなーそろそろ次行くよー!の声が聞こえる あゝ、元気出た!
小林弘利(脚本家、小説家)
夏になると映画を撮りたくなる。その気分はいまも変わらずだなあ、と思いつつ。「また、夏になる」という主題歌の歌詞を聴いておりました。何度も何度も繰り返せる映画の魔法は、繰り返すことのできない人生、という思い込みさえも幻想だと言われた気がしました。
森直人(映画評論家)
「映画を作ろう」とはありふれた日常を輝かせる魔法の言葉なのか?
自主映画だからこそ立ち上がる瑞々しさで5人のきらめきを捉えつつ、『Retake リテイク』は青春の甘美と痛みを軸にした時間論を展開する。そのベンチマークは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』ではないかと思う。
くれい響(映画評論家)
初期の古厩智之監督作を思い起こさせるかけがえのない青春映画としてみれば、「PFFアワード」グランプリは納得しかない。
映画の魔法を使った成長譚としてみれば、これほど「JAPAN CUTS」大林(宣彦)賞に相応しい作品はない。
竹中翔子(シネコヤ店主)
学生の頃、中野くんの映画はなんだか不思議な感性だけど、センスがあった。密かに長編を期待していたけれど、待てど暮せど、新作はやって来ない。もう自作は撮らないのかな…と忘れた頃にやってきた本作には、映画を教える側になって、子どもたちと過ごした豊かな時間が凝縮されていた。驚くほどに成熟した巧みさと、初めて映画と出会ったような初々しさを伴って。待望の劇場初公開、ヨッ、待ってました!
スズキトモヤ(シネマ・ライター)
「よーい!スタート!」で始まる映画の撮影。高校生活最後の夏に賭ける最後の青春。人生にも青春にも、撮り直しというリテイクは存在しない。すべてが、一発撮りでリハーサルなしの本番だ。瞳というレンズに映る景色は、一瞬の今しか映さない。すべてにおいて、刹那的で恒久的でもある。そして何より、映画は次の君達を待っている。次に映画の扉を開けるのは、若い君達だ!「はい!カット!」と掛け声を上げても、君達の青春はこの先の未来に続く。
古厩智之(映画監督)
夕方のヒキがいい。ロングショットの少年少女。伸びやかな手足。
主人公の少年がいい。黒くつぶらな瞳で、いつも何かを思っている。だから思う先が気になる。彼が見ているものが気になる。
夕暮れの映画撮影は終わらない。問いと答えが繰り返される。永遠に続くみたいで、気がつくとすでに遠い過去のこと。青春でした。
中根若恵(映画研究者)
一見、ありふれた青春映画の1コマから始まる本作は、しかし、私たちの予想を鮮やかに裏切り、映画的思考と生きることの哲学が交わる深淵へと観客を誘っていく。ともすれば、理論先行の堅苦しい作品になりがちな映画というメディアに関する自己言及的な実験を、俳優たちのみずみずしい演技によって軽やかに描いた稀有な一作。
宇田川幸洋(映画評論家)
映画の自主製作にかかわったことなどない人でも、自分が経験した夏のようになつかしく感じてしまうだろう、いとおしさにみちた映画。この映画の時間が終わらなければいいのにーーそんな欲望に、メジャーな映画会社は、続編、シリーズ化、スピンオフ等の方法でこたえる。商業的要請にも合致した、作品世界の増殖。そんな外への増殖に対し、この映画は内への、内での増殖をこころみる。いつまでも終わらない、いつからはじまったかもわからない、時間への旅……。
JAPAN CUTS OBAYASHI PRIZE 2024
中野晃太監督の『リテイク』は、その独創性、シンプルさ、遊び心によって、太陽の光を浴びた軽快なティーン・コメディであると同時に、現実と虚構の間の曖昧な境界線についてのホン・サンス的な内省的瞑想でもあります。
私たちは、この映画の粗削りで心に響く演技(でも芝居がかった演技ではない)、そして、ほんの些細な選択が、映画全体に見られるさざ波のよう、外へと波及していくことを気づかせてくれたことに感銘を受けました
ハンブルク日本映画祭 最優秀インディペンデント作品審査員賞
自己中心的になりがちな2人の映画人が、巧妙かつ独創的な方法で自問自答している。
この映画は、幼稚であることなく、子供らしい視点を見出している。
最初は単純に見えるが、とても複雑だ。
小さくても大きなことを成し遂げている。